バックレがやめられない

バックレがやめられなかった20代の10年間、バックレ癖で人生がとんでもないことになった経歴を綴ります。

2-1.バックレの歴史を振り返る~学生時代から社会人編~

 20代の10年間、数えきれないほど“バックレ”を繰り返してきた私。今回は、繰り返し続けたバックレの歴史を振り返ってみたいと思う。

 

初めてのバックレ

私が初めてバックレをやらかしたのは今から約10年前、大学生のときのことだった。
実家から離れた大学に進学した私は、大学近くのアパートで一人暮らしを開始し、大学生らしい自由奔放で自堕落な生活を謳歌していた。正直にいうと勉強はほぼ頑張っておらず、私が夢中になって取り組んでいたのはサークル活動であった。音楽系サークルに所属し、昼頃に起きたら毎日サークル棟に向かって、日が暮れるまで練習部屋にこもる。夜になると仲間たちとご飯を食べるか、居酒屋に向かう、そんな毎日を送っていた。
人当たりは良いが意見をはっきり口にすることも得意である私は、サークルの役員に選ばれて、リーダー役を複数かけ持った。要領もよく、楽器の演奏もうまいほうだったので、仲間の信頼を得ていたし、組織の中心的人物として認められていたと思う。

サークルだけでも慌ただしい大学生活だったが、2年次の後半からは楽器を買うためのアルバイト、3年次からはさらに就職活動も加わった。毎日くたくたに疲れていたけれど、忙しく動き回るのは好きな性分だ。それに、3年次はサークルの中でもメインとして動く学年だったので、私は尚のこと張り切っていた。絶対に成功を収めたい、多少忙しくても私なら乗り切れる、みんなの信頼に応えて頑張るんだと、そう思っていた。

……はずだった。サークルのリーダー役も、楽器を買うためのアルバイトも、就きたい仕事に就くための就職活動も、私の意志で頑張っていたはずだったのだ。
3年前半にある演奏会を終え、次のイベントの準備に差し掛かったときのこと。ある日を境に、私は突然サークルに顔を出さなくなった。本当にある日ぱったりと、行く気がなくなってしまったのだ。行かなくちゃ、迷惑をかけてしまう、とどんなに心の中で思っても、どうしてもサークルに向かう気になれなかった。連絡もせずに、無断欠勤を繰り返した。

心配した仲間からとんでもない量の電話やメールが届いて、携帯電話は一日中震え続けていた。何度も家を訪ねてきてくれた友人もいた。それでも、連絡は全て無視して、居留守を使って断固として話をしようとしなかった。複数の役職をかけ持って、誰より精力的にサークル運営に携わっていた私が突然来なくなってしまって、仲間たちは困っていた。そんなことは私だって理解している。理解していても、どうしてもサークル棟に足を向けることができないのだ。

そのうち、特に仲の良かった友人の一人が、「しんどいんなら、病院まで一緒に行くよ。どこに行けばいいか、私調べてみるから」と連絡をくれた。頑張りすぎた私が、うつ病になってしまったと考えたのだ。
だが、うつ病じゃないことは自分でよくわかっていた。サークルから逃げ回っている裏側で、私はとても元気だったからである。
ご飯は1日3食しっかりと食べていたし、サークル仲間に出くわさない場所や時間帯を選んで外出することも普通にしていたし、家族から連絡があれば、「変わらずにやってるよ」と笑って答えていた。高校時代の友人やバイト先の知り合いなどとはランチに行ったりお茶をしたり、普段通りの付き合いを続けていた。つまり、「サークルに顔を出さなくなり、連絡等も一切無視して逃げ回っている」ことを除けば、私は至って元気でいつもと変わらない日々を送り続けていたのである。

ひどいことしている、という自覚はもちろんあった。あんなにたくさんの時間を一緒に過ごして、笑ったり泣いたり、困難も成功も一緒に経験してきた仲間たちに背を向けて、私はただただ自堕落な毎日を送っている。辞めるなら礼節ぐらいわきまえるべきなのに、それすらもしていない。本当は元気なくせに……。
申し訳なさや焦燥感が胸を掻き立てたけれど、再びサークルに足を向けることがとうとう最後までできなかった。
結局、リーダー役は全て解任され、音信不通のままサークルから静かに去ることになった。リーダーとしてイベントを成功させて、仲間と肩を抱き合って喜び合うという夢を絶たれた私は、家で一人、しくしくと泣いた。自分でサークルに行かなくなったくせに、どうしてこんなことになってしまったのかわからなくて、悲しくて悔しくて、まるで被害者のような気持ちだった。泣きたいのは、私がいなくなった穴を無理やり埋めなければいけなくなった仲間たちのほうだったろうに。

 

サークルのために大学に行っていたような私は、そのサークルに行く必要がなくなってしまい、もはや大学に通う目的を失っていた。勉強を頑張っていなかったツケと、リーマンショックの影響もあって、就職活動も全くうまくいかなかった。嫌気がさして、生活はさらに自堕落になっていった。
そのうち大学に行くことすら少なくなって、最終的には3年の終わり頃というなんとも中途半端な時期に中退することを選んだ。親には「終活がうまくいかず、大学に通うのが辛い。地元に戻ってやり直したい」と言い訳した。

こうして、私は人生で初めて他人に大迷惑をかけて、大好きだったはずのサークル活動からバックレた。そしてこれ以降、数えきれないくらいのバックレ逃亡劇を繰り返すことになる。

 

身を粉にした働いたブラック企業時代

大学を中退して実家に戻った私は、地元の公立大学に三年次編入し、父の強い勧めで在学中から資格取得のための勉強を始めることになった。親の目もあったため、今度はしっかり大学に通うことができ、楽しみも苦しみもない大学生活を無事2年間で終えることができそうだった。
反面、全くはかどらなかったのが資格の勉強であった。そもそも興味のない分野だったし、私は勉強が好きなわけでも得意なわけでもない。ただ中退してしまったことに負い目を感じていたため、父の言うことを聞かざるを得ないだけだった。父には頑張っている素振りを見せるよう努めて、勉強時間の大半をネットサーフィンに費やした。
卒業間際に、1回だけ試験に臨み、「頑張ってみたけど、合格は難しそうだ」と理由を付けて、受験はドロップアウトし、就活に切り替えた。父はあからさまに落胆していたけど、何年かけても受からないことは分かり切っていた。

 

卒業ぎりぎりから開始した就活だったが、すぐに地元のIT企業に就職することが決まった。中退歴があるためそれなりに苦労もあったが、社長が私のポテンシャルを高く買って、即採用を決めてくれた。自分の直下につけ、社会人経験のない私にも難しい仕事をたくさん任せてもらった。実家を出て一人暮らしを再開することもできた。若い社員が多くてみんな仲がよかったし、充足した日々を取り戻すことができたと感じていた。
……が、そう思えたのも最初の1年だけだった。勘のいい方は気付いているだろうが、その会社はいわゆるブラック企業だったのだ。2年目には月の残業時間が100時間を超えていたが、残業代は1円も支給されなかった。給料の手取りは20万円弱で、3年目になっても昇級する気配は微塵もない。もちろんボーナスだってもらったことがない。
いつまでここで働くんだろう……と何度も考えた。けれど、学歴も職歴もない私を拾って、期待をかけて育ててくれた社長の恩に報いたくて、頑張れるだけ頑張った。

ところが、入社3年目が半分過ぎた頃、ある朝起きると会社に行く気力がぱったり無くなっていた。そりゃあ、会社に行きたくない理由ならたくさんある。書き終わってない提案書に、炎上した案件の対応、社長から丸投げされた新規事業のとりまとめ。でも投げ出すわけにいかないと思って支度を進めようとしたけれど、ベッドから起き上がることができず、その日は「体調が悪い」と連絡を入れて休んだ。次の日もやっぱり会社に行く気力が無くて、体調が戻らないと連絡して休んだ。3日目からは、連絡を入れなかった。
その日から、私は2度と会社に行かなかった。上司から鬼のように連絡がきたし、仲のいい同僚はわざわざ家まで様子を見に来てくれたけど、全て無視した。そのまま、“バックレ”状で退社することになった。
うつ病の診断がついてもおかしくなさそうだが、会社を無断欠勤している事実を除けば、やっぱり私は元気だった。会社外の友達とはいつも通りお茶しに行って、家族には元気で働いていると嘘をついていた。大学でサークルを辞めた時の自分と、全く同じだった。

 

ホワイト企業に転職したものの…

ブラック企業を退職した私は、少し間を置いてから再就職に向けて動き出し、一転ホワイト企業に入社することに成功した。そこそこ規模の大きい企業だったこともあり、年収が100万円も増えたし、ホワイト企業なだけあって残業時間は月10時間。残業代も分単位で支給された。
ブラック企業で新人時代からあらゆる仕事を任され、身を粉にして働いてきただけあって、仕事の進め方を褒められることも多かった。次第に、同僚から相談を受けたり、年配の社員からエクセルの使い方を聞かれたり、頼られることが多くなっていった。

しかし、内心では「つまらない」と感じるようになっていた。褒められはするも、仕事内容に張り合いがなく、前職のような充実感を感じられなかったのだ。加えて、同じ部署で働く上司や同僚が好きになれなかった。残業代目当てでダラダラ意味のない残業を続け、無駄話をしているだけなのに遅くまで働く自分を偉いと思っている。そういう大企業的文化になじむことがどうしてもできず、楽しみが見出せなかった。
入社から半年が経った頃、インフルエンザにかかり数日間会社を休んだことをきっかけkに、そのまま会社に行かなくなった。会社からの連絡を無視し続けて、結局また、バックレてしまった。

 

バックレを克服するにはどうすれば…?

ここまでくると、私はいよいよバックレが“癖”になってしまっていることを自覚し始めていた。辞めるにしても、正式な手順を踏んでちゃんと辞めればいいのに、それができない。どうしても無断欠勤をして、最終的にバックレてしまう。一体どうしてこうなってしまうのか、自分でもよくわからなかった。
しかし、まずいことはわかっている。これ以上こんなこと続けていたらとんでもないことになってしまうと思うと、気持ちがどんどん焦っていった。

考えた末に、「やりたくないことを無理やりやろうとしているのが良くないのではないか」という結論にたどり着いた。これまでのバックレを振り返ると、逃げたくなる理由が確かにあったのだ。疲れた身体、どんどん重くなる責任、無茶な労働環境、払われない残業代、楽しくない仕事、嫌いな上司。
そういう嫌なことや納得できないことを、責任感だけで無理に頑張ってきたのが良くなかったのではないか。そうだ、私は自分自身の声に耳を傾けていなかったんだ。自分に正直に、自分の手で選んだことだけをやっていれば、もう逃げる必要なんかないはずだ。

そう考えた私は、再就職することはせず、無謀にもフリーランスのWEBライターになる道を選ぶことにした。

長くなったの、次回に続きます。