バックレがやめられない

バックレがやめられなかった20代の10年間、バックレ癖で人生がとんでもないことになった経歴を綴ります。

5-1.バックレの根底にある“負荷”の正体は……

 

お試しカウンセリングを受けてから1週間後、私は再度カウンセリングルームへと足を運んだ。これからバックレ克服を目指して、本格的なカウンセリングを開始していく。

前回のカウンセリングで、先生は「逃亡は心理的な負荷に対する脳の防衛反応だ」といっていた。はたして、私のバックレの根底にある“負荷”の正体は明らかになるのだろうか。

 

 

カウンセリングがはじまると、まずは私の育成環境や家族構成の分析、それから発達障害アダルトチルドレン自尊感情など度合いを測る性格診断を行った。
結果としては、発達障害にもアダルトチルドレンにも該当せず、性格診断も特に問題のある性質は見当たらなかった。つまり、私のバックレ癖はやはり病気や障害によるものではなく、他に原因があるということだ。

 

診断が終わると、これから行う「認知行動療法」について説明を受けた。認知行動療法とは、ストレスを感じた出来事や状況に対して自分がどのような行動や思考、感情を持ったのか把握し、自分の思考の癖、つまり“認知”の修正をはかるという心理療法である。

具体的に何をするかというと、「アセスメントシート」と呼ばれる用紙に、問題となっている出来事や状況、そのときの思考、感情、行動を書き出し、可視化することで行動に至った原因を探っていく。

カウンセリングのメインは、この認知行動療法による思考や行動パターンの修正作業となる。これから毎回のカウンセリングでは、これまで私が行なってきたバックレの詳細をアセスメントシートに書き出して、バックレに至った原因を突き止め、そして対策を練っていくのだ。

 

今回は、ライティングセミナーの講師の紹介で起業家コミュニティに所属したものの、突然関係者と連絡を絶って行方をくらませてしまったという直近のバックレ事案について分析することにした。講師の仲介もあって案件にありつくこともでき、起業家仲間にも恵まれ、やることさえやっていれば安泰な環境を築ける状況だったのに、仕事も全てかなぐり捨ててバックレてしまったものだ。

この件について、アセスメントシートに書き出すと以下のようになる。

 

【出来事や状況】
セミナー講師の紹介で起業家コミュニティに所属し、その中で仕事を受注することもできた
・案件に全く手を付けないまま、コミュニティからバックレてしまった
・多くの人から安否確認の連絡がきたが、全て無視して着信拒否し、つながりを絶った

【思考やイメージ】
・ライターとして活動の幅が広がりそうで、今後の展望が楽しみ
・せっかく紹介してもらった案件なので、期待に応えられるよう頑張りたい
・仕事をするのが怖い、何も手に付ける気が起きない
・コミュニティの人に会いたくない、怖くて連絡を取りたくない

【感情】
・やらなければという焦り
・将来への不安、恐怖
・思った通りに動けない自分への自己嫌悪

【行動】
・仕事に手を付けず、自宅でネットサーフィンなどをして過ごす
・コミュニティの人から連絡があっても無視する、会わない
・コミュニティ以外の人とは普通に接することができる

 

このように、状況に対する自身の感情や行動を可視化する。
そして、書き出した事項のひとつひとつについて「なんで?」の問答を繰り返していくのだ。

 

なんで仕事に手を付けられなかった?
なんで期待に応えて頑張りたいと思った?
なんで連絡をとるのが怖かった?

こうように「なんで?」と問うことで内心を探り、出てきた答えにさらに「なんでそう答えた?」の問いを重ねる。問いを重ねることで、行動や感情に至った一番根っこにある原因を手繰り寄せていく。こうすることで、「人の期待を気にしないようにしましょう」といった表層的な答えで終わることなく、根源的な対処法を立てるためだ。

 

さて、先生からは、アセスメントシートの内容について以下のような問いが繰り出された。

 

「“期待に応えらえるように頑張りたかった”とあるけど、期待に応えようと思ってしまったのはどうしてでしょう」

 

私はさっそく答えに詰まってしまった。「なんで期待に応えたかったの?」なんて聞かれても、「そりゃ目をかけてもらってる人から期待をかけられたら応えたいと思うでしょうよ」としか思えなかった。

が、そこで思考停止しては認知行動療法の意味がないのだ。そのときの心理状態を一生懸命思い返して、なんとか頭の中から答えをひねり出す。

 

「紹介してくれた講師に目にかけてもらっていたので、頑張りを見せたかったというか……紹介してよかったと思ってもらいたかったんです」

「目にかけてもらってたというのは、具体的にどういう状況?」

「ええと、ライティングセミナーの先生だったんですけど、すごくいいコミュニティまで紹介していただいて、そのおかげで案件も取れたし……」

「コミュニティを紹介するのは特別なことなんですか? あなただけ特別に紹介してくれたの?」

「いや、他の人にも紹介してましたね……」

「じゃあ、あなたはどうして“自分は他の人より期待をかけられているから、それに応えなきゃ”って思ってたんでしょうね」

「…………」

 

答えが思い浮かばず、少しの間黙って考え込んでしまった。

そう言われてみれば、コミュニティを紹介されていたのは私だけではなかったし、案件だってお互いの条件が合いそうだったから「まずやってみましょうか」という話になっただけだ。起業家コミュニティなんだから、そんなの自然な流れである。じゃあ私は何に対して期待を感じていたんだろう。だいたい、コミュニティに人を紹介すると運営からバックがあるはずだから、紹介は講師本人にもメリットがあっただけだ。

思い返せば、私は仕事でもプライベートでも「期待に応えなければ」と考えることが多かった気がする。大学のサークルでも「みんなの期待に沿うリーダーでいよう」と思っていたし、仕事においても「期待以上の仕事をして認めてもらいたい」と思っていた。

そうだ、状況がそう思わせたんじゃない。私はいつだって、人からの期待を意識してきたんだ。

 

「この件だけじゃなくて、他の仕事でもプライベートでも、“期待に応えよう”っていつも考えていたように思います。そう思うことが癖みたいになってたのかな……」

「なるほど。でも、結局は期待に応えるイメージとは裏腹に、“仕事が怖くなってしまった”と書いてありますね」

「そうですね……これも、何が怖かったかっていうと、期待に応えられないことが怖かったんだと思います」

「それはどうして?」

「どうして……ええと……相手の期待に応えられなくて、ダメなやつだと思われたくなかった、から、ですかね」

「期待に応えられないとダメなやつだと思われてしまう、と感じる?」

「なんというか、相手にガッカリされたり、能力が低いと思われたり、見限られたりしたくないという気持ちがあります。いい仕事してくれたな、頼んでよかったなと思ってもらいたい、一目置かれたいという気持ちがあって、それができなかったらどうしようと思って、怖くなってしまう……」

 

自分で話しながら、どんどん不思議な感覚に陥っていた。
なんだか私は、まるで他人の目ばかり気にして生きてきた人間みたいではないか? いや、まさか。そんなんじゃないはずだ。
私は輪の中心になることが多くて、リーダー的存在で、自分の意見をはっきり口にすることも得意な人間じゃないか。だからこそ、自分の意志を貫いて、フリーランスとして独立する道も選べたのだ。いや、でもバックレまくって仕事は結局成立していないし……。

もしかして、私は人からの期待を一番に気にして、ガッカリされることに怯えて生きてきたんだろうか。そうだとすれば、その感情が私をバックレに導いてきたのか?

まさか、私がこんなに人からの視線を気にして生きてきたなんて。まさか、私が。

 

「“期待に応えられなくてガッカリされたくない”といいますが、そう思ってしまうのはどうしてなんでしょう」

 

先生の問答は、容赦なく続く。

 

「どうして……それはだって、期待通りの仕事が帰ってこなかったら、相手はガッカリするだろうから……」

「それはどうして? 実際にガッカリされたり怒られたり、トラウマになるような経験がありましたか?」

 

あったっけ。過去の出来事が頭の中をぐるぐると巡る。しかし、どんなに思い返してもそんな記憶に心当たりはなかった。

幼少期に優等生として生きてきた私には、怒られた経験がそもそも少ない。高校時代は遊び惚けすぎて数学と化学で赤点を取ったこともあったけど、両親がガッカリした顔を見せたことは特になかった。サークルや仕事をバックレたときだって、怒るよりも心配してくれる人の方が圧倒的に多かった。

 

「……いや、怒られたりとかは、特になかったと思います」

「それなのに、あなたが“ダメなやつだと思われてしまう”と思い込んでしまっていたのは、どうしてなんでしょうね」

 

どうして? どうしてってどういうことだろう。期待に応えられなかったら相手をガッカリさせるなんて、そんなの当たり前のことじゃないのか。
けれど、こうやって思い返してみれば、バックレなんて最大の期待外れを起こしたにも関わらず、怒るどころか心配してくれた人がたくさんいた。なのにどうしてガッカリされることに怯えていたんだろう。

問いに対する答えが見つからず、黙ってしまった私に、先生がヒントを出してくれた。

 

「つまり、あなたのことダメだと思っているのは、他人じゃないってことですよね」

 

ドキッとした。
先生の言う通り、確かに周りの人から「お前はダメなやつだ」と言われた経験があるわけじゃない。つまり、「人の期待に応えなくちゃいけない」という考えは、私の思い込みだったということだ。そう、“思い込み”だったのだ。

だとすると、私のことをダメだと思っているのは他人でなく……

 

「……私自身?」

「そういうことです。つまりあなたの思考の根本には、自己否定があるわけです」

 

 

自己否定……私が?

 

 

正直、腑に落ちなかった。

だって私は、明るくてポジティブで、思考バランスのいい人間だから。人当たりがよくてコミュニケーション能力も高いので、人間関係でもめた経験だって少ない。そういった自分の特性や能力に自信だって持っている。

 

そんな私が自己否定だって? 

 

全くピンとこなかった。自分が自己否定しているなんて、そんなの今まで感じたことがない。
ないけれど、でも、バックレてしまうときはいつも人からガッカリされることを怖がっていたことも事実だ。

 

「……正直、ピンときません。私はポジティブだし、自分のことを卑下したりとか、そんな感情を感じて生きてきていません。自己否定をしてしまっていると、自分で感じたことがないです……」

少し考えて、そのときの気持ちをそのまま先生に伝えることにした。

すると、先生からこう問いかけられた。

 

「バックレてしまうときってどういう心境ですか? なんでそう思ってしまうんだ、ちゃんとできないんだって、逃げたくなってしまう自分のことを責めたり、否定したりしてないですか?」

 

何も言い返せなかった。その通りだったからだ。

バックレてしまうときはいつも、焦りや自己嫌悪で心がいっぱいになる。どんなに責め立てても思い通りに動けない焦りと、ちゃんとできない自分への自己嫌悪で、心の中がぐちゃぐちゃになってしまう。先生の言う通りだ。

だとすると、私の言っていることは明らかに矛盾している。私はさっき、自分のことをポジティブで自尊心の高い人間だ、自己否定を感じたことがないと言った。けれど、バックレてしまう自分に嫌悪を感じていることを自覚している。バックレている最中はネガティブな感情で心の中がドロドロになるのを知っているのに、先生の問いにそう答えられなかった。

つまり、自己否定している自分を、見て見ぬふりしていただけだ。私の心にかかっていた“負荷”の正体は、先生の言う通り自己否定ということなのだろうか。

 

「あなたはつまりね。やりたくない、逃げたいっていう感情を否定して、理性で抑え込んできてしまったの。要するに、自分で自分にダメ出ししていたんですね。ダメ出しっていうのはただの自己否定だから、大きなストレスになるんです。
でもね、本来やるべきことは反省なんです。反省っていうのは、原因を明らかにして対策を準備すること。
あなたはこれから、ダメ出しではなくて、反省ができるようになっていけばいいんです。感情を理性で押さえつけるのではなく、感情と理性で公平な裁判ができるように、思考の癖を修正していきましょう」

 

先生の言っていることは理解できた。自分は自己否定していたのだということも、ここまでくれば認めざるを得ない。
しかし、やっぱりどこか納得しきれない。

 

「うちのカウンセリングに通っている人は、みんな共通して根底に自己否定の癖があるんですよ。自己否定が癖になっていると、感情が負のスパイラルに陥るんです。ストレスを感じて、それが問題行動を引き起こす。あなたの場合は、逃亡してしまう。そんな自分をさらに否定して、余計にストレスを感じて、また問題行動を起こして……これを繰り返して、自尊心がどんどん低くなってしまう」

「私、あんまり自分がそういう傾向を持っているように思えません。物事を楽天的に考える方だし、自分の能力に自信も持っているし……」

「そうなんだよね。診断結果見ても、あなたは自尊心あまり低くないんですよね」

 

カウンセリング前に受けた診断の中には、自尊心の程度をはかるものも含まれていた。その結果を見ると、私の自尊感情は高すぎず低すぎず、ちょうどいい値を示していたのだ。

 

「これは多分、回避がうまいからだね」

「回避?」

自尊感情が下がる前に、全部シャットアウトして逃げてきたから、スパイラルに陥らなかったのでは」

 

つまり、ストレスを感じると全部を無かったことにして逃亡し、リセットしてきたため、自己否定スパイラルに陥らずに済んだ、というのが先生の仮説だ。逆にいえば、自尊心を下げないために、自分の心を守るために逃亡していた、ともいえるだろう。私の自尊心は、バックレによって守られていたのだ。

しかし、カウンセリングの上ではこれは“タチが悪い”ともとらえられる。自覚がないことには、対処のしようがないからだ。現に、上記の通りの無自覚さによって、10年ものバックレとともに過ごす羽目になった。

 

 

 

ともかく、バックレを克服する上での今後の目標が明確になった。

ひとつは、自己否定している自分を自覚できるようになること。ここまで散々指摘されてきたが、やはりこの時点ではいまいち実感が持てていなかった。まずは、心の中の自己否定を認識し、そのときの感情の動きをしっかりとらえる必要がある。

そして、感情を理性で押さえつけず、感情と理性で公平な裁判ができるようになること。自己否定とは、湧き上がってきた感情を認めず、「こうしなければならないんだ」と理性で無理やり押し込めることだと先生はいった。こちらも、まずは感情を押さえ付けている自分を知覚して、地道に修正をはかっていく。

 

「克服するまでにどのくらいかかりますか」と尋ねると、「どんなに最短でも半年、1年以上かかることもある」とのことだった。

これから半年~1年以上、月1、2回のペースでカウンセリングに通い、新しい思考を身に付けていくのだ。

 

長い道のりが始まった。

 

これから私は、自己否定癖を自覚して、その思考の癖を修正していかなければならない。そのためには日々の意識づけが必要になるため、宿題が出されるのだ。

 

前進できたような、やっぱり納得できないような気がするカウンセリングだった。