4.「バックレ癖」の相談でカウンセリングに行ってみた
無駄に高い行動力でさっそくお試しカウンセリングを予約してからの1週間。
意気揚々と予約をとったにも関わらず、カウンセリングの日が近づくにつれて、私の胸の内にはなぜかどんどん憂うつな気持ちが広がっていた。予約当初の意気揚々ぶりは一体どこにいってしまったというのだろう。カウンセリングが必要だと自分で決めたはずなのに、憂うつになる理由が自分でも全くわからなかった。
その気持ちは日に日に強くなっていき、カウンセリング当日を迎えても変わらないままだった。むしろ、家を出る瞬間、電車に乗る瞬間、最寄りの駅に着いた瞬間と、カウンセリングが近づくほどに拍車がかかっていった。不安のような焦りのような感情がじわじわ胸の奥に広がって、カウンセリングルームの扉の前に立った時にピークに達した。
どうしよう、行きたくない。このままバックレてしまいたい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
まさかここまで来てもバックレの衝動に駆られるなんて……。逃げたがっている自分に対して、焦りでいっぱいだった。バックレを克服する道を模索してやっとここまで辿り着いたのに、そのカウンセリングすらバックレるようではもう救いようがないではないか。
今日だけはバックレるわけにはいかない。なんとか足を運ばなければと思い、この気持ちを整理しようと試みた。
おそらく、私はこのカウンセリングに大きな期待を抱いている反面、その期待が裏切られることが怖いのだ。ここまで辿り着くのに10年近い時間を費やし、相談できそうなカウンセリングルームをやっと見つけて、藁にもすがる想いでここに来た。そのカウンセリングでなんの成果も得られなかったらどうしよう、バックレの相談なんかして鼻で笑われたらどうしようという想いを、心の底で抱えている。
バックレを克服することを切望しているのに、足が止まってしまうのはその不安が的中することが怖いからだろう。
しかし、怖いからといってここでまたバックレるようではどうしようもない。数分間扉の前をウロウロしたが、お試しなんだから大丈夫、もしダメでもまた別のカウンセリングルームに行ってみようと自分を鼓舞し、なんとか足を踏み入れることに成功した。
中に入ると、まず出てきたのは受付係の男性だった。待合スペースに通され、椅子に座ると温かいハーブティーが出された。ハーブティーというところが、なんかカウンセリングルームっぽいな、と思いながら数口飲んで緊張を和らげようとした。
その場でお試しカウンセリングの対応範囲や免責事項の説明があり、数分後に先生が待つ別室へと案内された。いよいよ、カウンセリングの始まりである。
「こんにちは、どうぞ座ってください」
柔らかい暖色の間接照明で、目に優しい明度に調節された室内には、重厚な机と椅子が一組、そこに向かって置かれた一脚の椅子の側には、小さなサイドテーブルが添えられていた。テーブルの上には、さっきまで私が飲んでいたハーブティーとティッシュ箱が置いてある。その足元にはゴミ箱も設置されていて、配慮があるなぁと頭の隅で思いながら、椅子に腰を下ろした。
黒い革張りの椅子には、机の上で手を組み合わせた先生が座っている。アイロンのかけられた無地のシャツを第一ボタンまできっちり留めた先生は、眼鏡の奥の鋭い目が少し冷たくて、神経質そうな印象だった。カウンセリングルームの先生というと、もっと物腰柔らかで穏やかにしゃべる人を想像していたので、胸に抱えた緊張がじわりと一回り大きくなったような気がした。
「緊張してますか?」
私の様子を見て、先生が尋ねてきた。
「はい、少し……」
そう答えたけれど、本当はとんでもなく胸がドキドキして、何をどう喋ればいいのか頭の中でごちゃごちゃと思考が駆け巡っていた。
思い返せば、バックレのことを他人に話すのは、人生の中でこれが初めてなのだ。家族にも友人にも、とにかく上手くいっている風を装って、ズタボロになっていることをひた隠しにして生きてきた。隠しに隠し通してきたその人生の恥部を、これから他人に話すのだ。プロが相手とはいえ、緊張せずにはいられなかった。
「さて、じゃあ相談内容を話してみてください。ゆっくりでいいですよ。上手にしゃべろうとしないでいいので」
アイスブレイクとかないんだ、いきなり始まるなんだな、とも感じたが、「上手にしゃべらなくていい」という一言が、少し心を軽くしてくれた。
ふぅ、と一息ついてから、私は少しずつ、自身のバックレ癖で人生が崩壊しかけている現状を説明し始めた。
何かを始めても、絶対に途中でバックレてしまうこと。
大事になってしまうとわかり切っていようが、無理やりにでも逃げ切ろうとすること。
10年間で数えきれないほどバックレを繰り返し、とんでもない数の人に迷惑をかけてきたこと。
一方で、家族や昔からの友人にはいつも通りの自分を取り繕ってしまうこと。
バックレ癖のせいでまともにお金が稼げず、大変な思いをしていること。
話しているうちに声が詰まって、次第に涙が溢れて、最後の方はもう嗚咽交じりで絶え絶えに話すほど号泣してしまった。
バックレのことを人に話すだけでこんなに感情が爆発すると思っていなかった。止まらない涙を拭いながら、あぁ、私本当にもう限界だったんだな、と自覚した。人生が崩壊していっていることを感じていながら、それでもバックレを止められない狂気じみた自分に、たった一人で対処するのがもう限界だったんだ。怖くて辛くてたまらなかったんだ、私は。
一通り話を終えた私は、それだけでも肩の荷が軽くなったように感じていた。やっと、やっとバックレのことを他人に話すことができた。
先生は、私の涙に動じず、途中でティッシュを使うように促したりして、ただ静かに話を聞いていた(こうやって泣く人が多いから、ティッシュとゴミ箱が置いてあるのか、と思った)。
「うつとか発達障害じゃないと思うんです。
でも、なんでこんなに追い込まれてまでバックレがやめられないのか、
自分でもわからないんです」
話の最後に私がそう言うと、先生は力強く
「うん、うつとか発達障害とかじゃないだろうね。
そこは僕もそう思いますよ」
と返してくれた。
さらに先生はこう続けた。
「そんな状態になってまでバックレを止められないっていうのは、大変でしたでしょうね。
自分を制御できない自分を、
あなたは怠惰でダメな人間だと思っているかもしれませんけど、
そういうことではないと思います。
逃げっていうのは、身体のシグナルです。
バックレなければならない原因が、なにかどこかにあったんですよ。
負荷がかかると防御するように、脳はうまくできている。
あなたが怠惰だからバックレてしまったとかじゃない。
その負荷がなんだったのかわかれば、対処することはできますよ」
怒られなかった。そのことに、まず安堵した。
何をやってもバックレてしまうなんて、そんな他人に理解されないだろう奇怪な行動に、ちゃんとした専門家の意見をもらうことができた。しかも、前向きに頑張れとか気にしすぎだとかの根性論ではなく、「脳が体を守ろうとしているだけだ」と言ってくれた。さらに、「対処することができる」とも。
その事実だけでも、とても心が軽くなったし、苦労してカウンセリングルームを探してよかったと感じていた。
一方で、先生の言うことにはピンとこない部分もあった。私にかかっていた“負荷”というものに、思い当たる節がなかったことだ。
大学時代やブラック企業時代のことを考えると、確かに張り切りすぎて無茶をしてしまった部分があった。あれについては、“負荷”に対する防衛反応といえるかもしれない。
しかし、フリーランスになってからはどうだろう。私は自分のやりたいことを仕事にして、バイタリティ溢れる人々にたくさん出会って、胸をワクワクさせながら仕事をしていたはずだったのだ。
自分の気持ちを大切に、自由に仕事をしていたはずの私にかかっていた“負荷”とは一体……?
その答えが一番気になるところだったが、今回はあくまでも「お試しカウンセリング」である。“負荷”の正体は定期的にカウンセリングに通いながら徐々に明らかにしていき、複数の心理的アプローチによってその修正をはかっていくと先生は言った。
先生の少し冷たく感じる淡々とした話口調が気になる部分はあったが、バックレ克服に向けて一筋の希望を感じた私は、今後もこのカウンセリングルームに通うことを決めた。
その日の最後に、こんなことも話した。
「実は私、バックレのことを人に話すの、今日が人生で初めてだったんです」
「誰にも? 家族とか友達とかにも、誰にも相談したことなかったの?」
「一切ないです。今日、初めて他人に打ち明けました。
だから本当はすごく緊張してました。
家族になんて……こんなこと一番言えないです」
「なんで言えなかったんだろうね?」
「え?」
「なんで人に相談する気が起きなかったんだろうね。引かれるのが怖かったとか?」
「なんで……え、なんでだろう」
「そこにヒントがありそうですね」
こんなこと人に言えるわけがない、とばかり考えていて、「なんで言えないのか」なんて発想は当然私の中にはなかった。だから、先生から問われたとき「なんでなんて、そんなこと聞かれても……」と思ってしまった。
引かれるのが怖い……確かにそれはあると思う。社会人として失格すぎるとんでもない姿を、他人に見せられるわけがないと考えていた。
そんなの当たり前じゃないかと思ってきたけど、もしかして当たり前ではなかったのだろうか。私が気付いていないだけで、本当は別の理由があったんだろうか。
“負荷”の正体は一体なんなのか。原因を見つけてバックレを克服することはできるのか。
また1週間後に本カウンセリングの予約をとって、その日は終了となった。
他人に話せたことへの安堵とバックレ克服が現実的になった希望。私をじわじわと蝕んでいた焦りと不安が少しだけ減って、代わりに高揚感を抱きながら帰路についた。