バックレがやめられない

バックレがやめられなかった20代の10年間、バックレ癖で人生がとんでもないことになった経歴を綴ります。

5-2.認知行動療法で“自己否定癖”を自覚する。しかし……

初回カウンセリングでバックレの根源が“自己否定”であったことが判明。

これからのカウンセリングで自己否定をしていることを自覚するとともに、その思考の癖を修正していくことになったのだが……。

 

 

毎回のカウンセリングでやることは、基本的に前回と変わらない。バックレてしまったときのことをアセスメントシートに書き出し、内容について「なんで?」と問いを重ねて、行動や感情の原因を深堀りする作業をとにかく繰り返す。繰り返すことで自分の思考癖を自覚するとともに、「こういうとき、今まではこう捉えていたけど、今度はこういう風に考えてみる」と新しい思考癖を身に付けることを目指す。

自分の行動を否定するのではなく、次の行動の筋道を立てること、“ダメ出し”ではなく“反省”ができるようになることが、カウンセリングの目的である。

途中からは、この作業をカウンセリング中だけでなく、宿題として自宅でも行うよう指示が出された。最終的に自分一人でできるようにならねばならないからだ。

アセスメントシートを用いてバックレに至った原因や行動の流れを自分自身で整理し、どう思考すれば回避できたか、自分で考える。それを次回のカウンセリングに持っていき、先生からフィードバックをもらって、さらに自己理解を深めるというのが毎回の流れであった。

 

こうして、過去に起こした様々なバックレ事例の分析を重ねることで、自己否定癖を自覚するだけにとどまらず、細かな思考の癖も明らかになっていった。

 

 

ある過去のバックレについてアセスメントシートで書き出しを行ったときのこと、私はその結果を見て「ああ、私はこのときも人の期待に応えようとしていたのだな」ということに気が付いた。そこで私は、「人の期待に応える必要はない。次からは、他人の評価を目標にしないようにする」という結論を出して、カウンセリングに持って行った。

自分では、次につながる明確な答えを出せたつもりだった。しかし、先生からは「それでは結局自己否定していますよ。その結論は“ダメ出し”であって、“反省”になっていません」と指摘を受けたのだ。

 

最初は何が悪いのかわからなかった。他人からの評価を目標にすえてしまったことが悪かったのだから、そうしないように気を付ければいいのではないのか。

しかし、何度も分析するうちにわかってきた。この考え方だと、「人の期待に応えたい」という私の感情を「そんな風に考えてはいけない」と否定している。つまり、先生の言う“感情を理性で押さえつけている”状態になっているのだ。これは期待に応えたいと考える自分への“ダメ出し”であり、“反省”になっていないというのが先生の指摘なのである。

 

それでは、“反省”とは一体どういう思考なのか。

考えるべきは「ここがダメだったから、次からはこうしてはいけない」ではなく、「なぜこうなってしまったのか?」という部分である。この分析でいえば「どうして私は期待に応えたいと思ってしまったのか?」だ。

どうしてそういう感情が沸き上がってきたのか。感情の背景に何か隠れていないか。そして、その感情を満足させるために私はどうすればよかったのか。

そうやって自分自身に問いかけ、共感し、自分を満足させられる方法を考える。それが、前回のカウンセリングで教えられた「感情と理性の公平な裁判」なのである。

 

 

とはいうものの、私はこの「公平な裁判」というものをなかなかうまく進めることができなかった。どうしても感情を否定していることへの知覚が遅れて、「次からはそう考えない」といったような、感情を抑えつける答えを出してしまう。

なぜうまくいかないのか。分析を重ねるうちに、その背景には“白黒思考”が隠れていることもわかってきた。

 

 

ある回で、報酬は低いが継続的な依頼を期待できたため受注したものの、結局やる気が無くなりバックレてしまった仕事を分析の題材にした。宿題の自己分析では、「継続受注ほしさに相手に認めてもらおうして、完璧にやらなくちゃいけないと思ったことが原因」と答えを出して持って行った。

この答えに対して、やはり先生からは根本的なツッコミが入る。

先生は「どうして完璧にやろうと思ったの?」と言うのだ。「僕だったら、その条件で完璧な仕事しようなんて思わないよ」と。

 

先生は、例えばその仕事では希望している報酬の50%くらいしか得られないのであれば、50%の頑張りしかしないという。継続依頼がほしいという事情があったとしても、ちょっと頑張りを足して60%とか70%の力しか出さない。得られるものが50しかないのに、100の力で頑張る必要はないでしょう、と。

私には全くなかった考え方だな、と思った。この件に限らず、私はどんな仕事でもどんな条件でも、常に100の力で頑張ろうとしてきた。また、これについてはその自覚もはっきりとあった。

 

私は、バックレの原因を「相手から評価されることを目標にすえて、完璧にやろうとしてしまったこと」と分析した。しかし、根本的な原因はそれよりも前。目標以前に「報酬が低いことに対する不満」が存在していて、その不満を宙に浮かせたまま目を向けなかったのだ。さらには、その感情に「継続案件につなげたいなら我慢して頑張らなくちゃいけない」と理性を押し付け、我慢させることを選んだ。不満を感じている自分に100%の頑張りを強要した。感情を抑えつけたことがストレスとなって、それがバックレの原因となってしまった。

0か100かの対応しかできない、完璧主義者にありがちな、白黒思考の典型である。

私には思いつきもしなかったが、先生の言うように、不満に思う気持ちを素直に認めてもよかったのだ。報酬が50ならその分の頑張りしかしない、だけど今回は継続案件がほしいから、少しだけ頑張りを足して、60の力でやることにしよう。そういう折衷案を考えられるようになることが、「感情と理性の公平な裁判」なのである。

 

 

カウンセリングに通い始めた当初、私は「バックレたいと思わなくなること」がカウンセリングのゴールなのだと思っていた。

仕事をやりたくない、逃げてしまいたいという感情をなくし、難しい仕事にも果敢にチャレンジしてやり遂げる。そんな理想通りの自分を手に入れること。カウンセリングに通えば、いつかそれが叶うのだと思っていた。

しかし、「感情と理性の公平な裁判」の第一歩は、「バックレたいと思う感情を否定せず、認めて受け入れること」である。白黒思考の私は、“人の期待を気にしない自分”“全くバックレたくならない自分”を目指すのだと思っていたが、それも自己否定のひとつなのだ。

 

そもそも「期待に応えたい」「やりたくない、バックレたい」というのは、自分の内から湧き出る自然な感情である。勝手に湧いて出てくる感情を打ち消したり無かったことにしたりなんて、できるわけがない。勝手に湧いてくるのが感情なのだから。

バックレたくなっても、別にいいのだ。期待に応えたい、でも怖い、逃げてしまいたいと思ってしまう自分でいいのだ。

しかし、その感情に素直に従ってしまっては、生活に支障が出る場合がある。そのときは、感情の原因を把握して、自分自身を適度に納得させつつ、現実との折り合いをつけてあげる方法を考えればいい。

 

この先どんなにカウンセリングに通っても、バックレたい自分はいなくならない。そういう自分はそのままに、ただ現実との折り合いが付けられるようになるだけ。

私はこの先も、一生、バックレたい自分と付き合って生きていく。

そのために、カウンセリングに通うのだ。

 

 

頭ではそうわかっていても、実際にそれができるかどうかは全く別の話であった。

現に、カウンセリングに通っている最中も、新しい仕事に手をつけてはそのすべてをバックレた。クラウドソーシングで受注したLP制作の仕事3件を全てバックレ、貴重なチャンスであったコラム執筆の仕事からバックレ、生活のためにやむなしと始めたチャットレディの仕事からもバックレた。

バックレる原因はもうわかっている。自己否定癖も完璧主義も白黒思考も自覚できるようになった。それでも、「感情と理性の公平な裁判」は突然できるようにはならない。何十年も自分に馴染んだ“癖”というものは、意志の力だけで変えられるものではないからだ。

「今この瞬間から箸の持ち方を変えろ」と言われても、いきなりできるようになる人はいないだろう。ついついいつもの持ち方をしてしまい、しばらくしてから「ああ、また前の持ち方をしてしまった」と気が付いて、直す。「持ちにくいなぁ、元に戻したい」とも感じるだろう。それでも、何度も何度も間違って直してを繰り返し、手に馴染ませていくしか道はない。

思考癖の修正も、これと同じである。30年以上もの時間をかけて醸成された癖を矯正しようというのだ。そう易々と変えられるものではない。箸の持ち方と同じく、間違えて直すことを何度も繰り返し、“新しい癖”を脳と体に覚え込ませるほかないのだ。

 

 

一進一退を繰り返す状況に、現実がさらに追い込みをかけてきた。このときの私は、生活のために始めたはずのチャットレディの仕事をバックレて、苦しい生活がさらに苦しくなったタイミングであった。

前述の通り、思考の癖を修正するには反復が大切なので、あまり間を空けすぎず定期的にカウンセリングに通う必要がある。先生からは、2週間に1度カウンセリングに通うことを勧められていた。1回のカウンセリングに必要な費用は10,000円。月20,000円をねん出することが、そのときの私にはとても苦しかった。

一度、お金を払うのが苦しくて、いつもよりよりも間隔を空けて次の予約を取ろうとしたことがあった。すると、先生から「大変なのはわかるけど、通う目的をしっかり考えたほうがいいのではないですか」と、正論を突き付けられた。私は「そうですよね」と返して、いつも通り2週間後の予約を取って、お金が苦しいことを相談できなかった。

 

先生の言うことは、いつも理論的で正しくて、反論の余地がない。すこし言い方も冷たいので、「怒られている」と感じて返す言葉が無くなってしまうことが何度かあった。カウンセリングの成果は感じているし、信頼のおける先生だとは思っている。しかし、回を重ねるごとに、先生の物言いや態度が心に刺さることが増えていった。

 

お金は苦しい。先生の態度に心が曇る。それでも、なんとしてもバックレをなおさなきゃ。

“なおしたい”が、いつの間にか“なおさなきゃ”に変容していることにも気が付かず、とにかくカウンセリングに通い続ければ道は開けるはずだと、なんとかひねり出したお金を手に、カウンセリングに足を向けた。