バックレがやめられない

バックレがやめられなかった20代の10年間、バックレ癖で人生がとんでもないことになった経歴を綴ります。

1.バックレがやめられなくて、人生がやばいことになった

20代の10年間、何をするにも「バックレ」を繰り返して生きてきた。

バックレとは、関係者に辞意を伝えることなく連絡を絶ち、正式な手続きをとらずに全てを投げ出して逃げ出すことである。「逃亡」と言い換えてもいいかもしれない。20歳のときに初めてバックレをやらかしてから、30歳を迎えるまでの10年間、それはもう、ありとあらゆることから何度も何度もバックレてきた。
会社、アルバイト、サークル、人間関係などなど。その対象がどんなに人生を左右する重大なものだろうと、たくさんの人に迷惑をかけて大事になろうことが目に見えていようと、一度逃げ出したらもう止まらない。逃げきってその対象が人生から消えるまで、何が何でも逃げ通してしまうのである。

「まぁ、物事が続かない人ってよくいるんだから、そんな大げさに言わなくても……」と思われるかもしれない。しかし、私を悩ませてきた「バックレ」というものは、飽き性とか三日坊主とか、そういう“性格”上の話では到底ないように思う。バックレ方がちょっともうヤバいのである。

私は、普段から時間にルーズだったり、約束を守らなかったりするような人間ではなくて、どちらかといえば常識があって何事にもやる気があり、要領よく物事を進めていけるタイプの人間である。自分で言うなよという話だが、周りの人々に私という人間の印象を聞いたら、まず間違いなくそういう答えが返ってくるだろう。
幼少期から友人は多い方だし、人から気に入られたり頼られたりすることが多く、“輪の中心”になりやすい人間として生きてきた。いつも機嫌がいいし、交友関係で悩んでいる様子もなければ、何かに行き詰っている様子もない。至って元気に、健康に過ごしているように見えるだろうし、実際バックレ直前まで普通の生活を送っている。
問題なんか何もない。このままいけば何も困ることなんかないはずなのに、ある日突然、本当に突然に連絡を絶ち、音信不通になってしまうのだ。

当然ながら、いつもやる気で元気なあの子が連絡を絶ったら、周りはものすごく心配する。「あの子が突然連絡を絶つなんておかしい。何かあったに違いない」と私の身を案じて、なんとか連絡をとろうとたくさんの電話やメールが届く。連絡がとれなければ、家まで様子を見に来てくれさえする。
だが、当の私は一切の連絡を無視して居留守を決め込み、何が何でもそのまま消えようとするのだ。「今からでも謝って、無事だということだけでも伝えようか……」なんてまともな考えは浮かばない。逃げきることで頭がいっぱい、というか思考が停止して、もう正しい行動をとることができなくなっている。

元気だったはずの人間が突然姿を消すのだから、大事になって当然である。私だって、逆の立場だったら事故か病気か、何か大変な事態に巻き込まれたに違いないと考えるだろう。そこまで心配して何度も連絡をくれたり、家まで来てくれたりする友人や同僚がいるのだから、本来ならありがたい話である。
それでも、バックレの最中はそんなことも考えられず、追われるほどに余計逃げようとしてしまう。仕事先からバックレた経験も数えきれないほどあり、安否確認が出されて家に警察がきたことすらある。しかも、3回も。

 

いい年した大人の社会人としてヤバいことは痛いほど自覚している。実際、バックレに成功した後は安心感と同時に、とんでもない不安と焦燥感に襲われる。逃げ切ることでいっぱいだった思考が今度は、後悔の想いで満たされる。
「ああ、またやってしまった。どうして毎回毎回こんな無茶な逃げ方をしてしまうんだろう。普通にすればいいだけなのに。なんでまた逃げてしまったんだろう。逃げるんじゃなかった。この先私はどうなるんだろう」と、怖くてたまらなくなってくる。
いつまでもこんなことを続けていたら、いずれ生きていく場所が無くなってしまう。次こそは、次こそはちゃんとやらなければ……と、焦ってまたすぐに新しいことに取り掛かり、やっぱり土壇場でバックレることを繰り返してしまう。

私の逃げ癖には、もう一つ大きな特徴がある。特定の事柄からバックレを決め込んでいる一方で、そのほかの人間関係においては「元気で明るい、生き生きと仕事をしてる私」を崩さいないことだ。安否確認の連絡でひっきりなしに鳴り響くスマホをカバンの中で放置しながら、普通な顔して表参道のカフェで友達とお茶してたりする。家族には会社を辞めたことすら打ち明けずに、「なんとかやってるよ」と平然を装う。
家族や親せき、昔からの親しい友人にも、バックレ癖のことを一切相談しなかった。「誰かに打ち明けよう」という発想すら、微塵も頭をよぎらなかった。迫りくる不安と焦燥が目に入らないように、家族には順調に仕事を続けているそぶりを見せて、友人とはいつも通りの付き合いを続けた。

 

社会人がバックレを繰り返していたらどうなるか。当たり前だが、お金が無くなっていく。まともに働けたことがない私の貯金通帳は、いつも底を尽きるすんでのところでギリギリのやりくりがされていた。焦って即日でお金になりそうな仕事に手をつけるのだが、続かないので大きなお金にならない。
好きなことをこと仕事にすればもうバックレなくなるんじゃないかと思って脱サラし、フリーライターを志すもやはり続かなかった。派遣社員、事務のアルバイト、本の出荷や警備の日当バイトなど、すぐに雇ってもらえる仕事を転々とし、終いには男性向けマッサージの仕事にも手を出した。どの仕事も長く続いて2、3ヶ月で、最後には全部バックレた。
 

これは経験して知ったのだが、人間というのは本格的にお金が無くなると、先の生活への恐怖で余計に思考が停止する生き物らしい。追い込まれれば追い込まれるほど、まともな打開策を考えつくなくなる、いや、考えることを放棄しだすのだ。
生活はどんどん自堕落になり、スーパーで3割引きになった弁当を食べては、布団の中でネット動画を見て過ごす時間が増えていった。口座のお金が足りなくて料金が払えず、学生時代に作ったクレジットカードが利用不能になった。それでも、友達から誘いの連絡があれば、月1、2回はおしゃれなカフェでランチやお茶を楽しんだし、家族にも笑顔で電話をかけた。

 

表ではどんなに普通を装っていても、生活はどんどん苦しくなっていく。もう実家に帰ろうか、何度も迷った。私の実家は、どちらかといえば裕福な家庭だし、毒親なわけでも関係性が悪いわけでもない。
けれども、こんな常軌を逸した生活をしてることを絶対に親に知られたくなくて、どうしても頼ることができなかった。一度だけ、「取引先の支払いが滞っていて」と嘘ついて、母親から30万円だけお金を借りたことがあったが、それだけだった。

実家は裕福で、親との関係も悪く無くて、友達がたくさんいて、人から頼られて、明るく元気で褒められることのほうが多くて、ただ普通に生きてさえいれば、私は幸せに違いなかった。それなのに、何をやっても最後にはバックレて全てを台無しにしてしまう。
お金がない。信用もない。誰にも打ち明けることができない。

 

どうしてこんなことになってしまうんだろう。バックレる理由なんかないはずなのに。なんでこんな惨めな生活を送りながら、それでも私はバックレをやめられないんだろう。なんで、どうして……。

 

バックレが完全に癖になってしまった私の人生は、もはや崩壊寸前だった。

  

 

10年間、誰にも打ち明けることなくバックレ癖に悩み続け、ある日私は、カウンセリングルームの扉を叩くことにした。限界だった。バックレを克服しないままこの先の人生を生きていくことを想像するだけで、怖くて怖くて仕方がなかった。

 

それからさらに数年経って、現在の私は子育ての傍らで細々とWebライティングの仕事をしながら生計を立て、多分人並みに生きている。収入は多いわけではないけれど、子どもを自宅で見ながらなんとかお金を得られているので、自分としては満足している。要するに、バックレないで与えられた仕事を最後まで完遂できるようになったのだ。
“バックレ癖がなおった”といっていいのかは、正直わからない。逃げ出したくなる瞬間は今でもたくさんあるし、何か環境が変わったらまたバックレてしまうこともあるのかもしれない。けれども、バックレたい気持ちになってしまう原因がわかってきたし、その気持ちをうまく処理して仕事をやり遂げる方法も身についてきた。

10年かけて、やっとわかった。私は非常識で怠惰な人間だからバックレていたのではなく、逃げてしまう原因がちゃんとあったのだ。

 

10年間、数えきれないほどたくさんの人に迷惑をかけて、とてもリアルでは人に話せないような恥ずかしい人生を歩んできた。その過去を覆すことはできないし、迷惑をかけた人たちに向ける顔は一生かけても見つけられない。けれど、だからこそ、私の恥ずかしい人生の一部をシェアすることは、誰かの励みになるかもしれない。
私の人生を困窮まで追い込んだバックレ癖と、逃げずに仕事ができるようになった現在までの経緯を、これからブログで打ち明けていきたいと思う。